京都の小学校で真の『対話の授業』
先日、そらのねで開催した
子育て航海術の講師
渋谷聡子さんがずっと関わってこられた
京都の小学校で、
対話の授業が行われました。
*当たり障りのない会話からは、何も産まれない
渋谷さんとこれまで何回も研修を繰り返し、
当たり障りのない会話ではなく、
お互いの心の中から出てくる思いを語りあう、
対話を繰り返してきた先生方が、
子ども達と授業を行い、
その後、保護者の方々と先生方との
対話会の時間も作られたそうです。
子どもたちが大人になり、この世を終える時「どんな人生だった」と思ってほしいですか?
(中略)
長年の念願だった「保護者と教員の対話会」が実現しました。(今朝の京都新聞にも掲載されました!)
保護者と教員は、子どもの可能性を育む協働チーム。のはずなのに、コミュニケーションがうまくいかなかったり、何を考えているのかいまいち分かり合えなかったり。。
お互い、「立場」を意識しすぎた遠慮や構えでますます距離が離れ、すれ違っていく保護者と教員。
本当は、どちらも子どもを思う気持ちは同じ。
保護者にとってかけがえのない我が子。でも、先生方も自分の家族やプライベートを犠牲にしてまでも教員として子ども達のことを思い、日々がんばっている。
そんな保護者と教員が、それぞれの「役割」の帽子を脱いで、1人の人間同士として向き合えたら、必ずや通じ合えるはず。そんな想いから実現した場。
当日は、全クラスで「対話の授業」の公開授業をした後で対話会がスタート。これまでの教員研修ですっかり対話には慣れっこな先生方が、余裕の表情で、むしろワクワクしながらその場にいてくれる事が本当に心強い^^
(中略)
教員と保護者が、共に考え、対話するための問い。
『子どもたちが大人になり、この世を終える時「どんな人生だった」と思ってほしいですか?』
(中略)
どんな大人になってほしいか?という問いだと、
理想や「べき」が出てきがち。
でも、この問いから湧いてきた声は、子どもへの想いではなく、
「自分自身がどう生きたいか」という切なる願いだった。
(中略)
立場や役割、年齢や性別、、
あらゆるものを超えて、
「今」を生きる人間同士がお互いの命や願いに触れ合っていく。
詳細は渋谷聡子さんの記事をご覧ください。
https://www.facebook.com/groups/308707289239777/permalink/1872215939555563/
こんな対話、簡単にできるものではない、
確かにそうです。
でも、繰り返し、自分自身がどう在りたいのか、
評価軸を外に求めるのではなく、
本当の自分はどうしたいのか、
そこに、何回も向き合うことで、
どのように対話をしていったらよいのか
道が見えてきます。
埼玉でも、小学校といわず、
様々な場所で、これができたら、と思います。
この場を体験することで、
子ども達は、自分を見つめることができ、
そのままの自分を受け入れて、
生き抜くことができるのではないでしょうか?